映画「グラン・トリノ」を観た

Pic090505

現代のアメリカの話。「グラン・トリノ」とはフォード社の車、クリント・イーストウッド扮する頑固じじい、ウォルトの所有する、1972年式の車、いわゆる「ヴィンテージ・カー」。とてもカッコイイデザイン。この旧き良き時代の象徴「グラン・トリノ」の周りで起きる、旧きもののウォルトと、新しきものたちのやりとりを描く映画。

朝鮮戦争に参加し、フォード社で働き、現在はリタイアしたウォルト老人。周囲に悪態を吐きながら暮らし、妻に先立たれ、息子たちとも孫たちともうまくいかず、日々を暮らしている。そんなある日、悪友にそそのかされ、グラン・トリノを盗もうとした若者と遭遇する。若者は隣人の東南アジアからの移民、「モン族」の家族の青年タオだった。

紆余曲折あるが、徐々にタオとその姉スーたち次第にうちとけるウォルト。だが、せっかく仲良くしてくれた、タオたちのためを思って、行った行為が、自分のせいで、タオたちに逆に迷惑をかけてしまう。タオを諭しながらも、ウォルト本人はどうオトシマエをつけるのか、完全無欠のヒーローではない、人生の締めくくりを迎えようとしている生身の老人が、いかに現代の世の中と戦うか。前途ある若者にどうやって道を示していくのか。これが物語のハイライト。

前半はスーが物語を、後半はタオが物語を引っ張る。前半で引いた複線が後半になって表れる。展開も遅くもないし早くもない。いろいろ考えながら見られるストーリー。

仲間の床屋の店主や建築現場の現場監督との、罵りあいのようなコミニュケーション。言葉は通じないけど、何となく悪友的なつながりを持った、マオ族のおばあさん。妻の言葉を伝え、親身にしてくれ、最後は少し心の通じ合う若い神父など、脇役たちもいい味を出している。タオとウォルトと床屋の主人のやりとりはおかしかった。

現代のアメリカが抱える「闇」、人種問題、貧困、銃社会。そんな中でもがきながら、過去の辛い思い出を引きずりながら生きていくウォルト。本当は家族となかよくやりたいのだが、お互いうまく打ち解けられない。日本人にだって十分通じるメッセージ。

「ウォルト爺さんが偏屈だから、息子・孫たちがああなったのか。」「ああ昔の方がよかった。と簡単には言わないけれど。」「自分だったら、たぶんあの息子、もしくは孫のポジションなのだろうか。」いろいろと、なんとも深く考えさせられる映画。帰りの車の中で、自分は音楽もかけずに、ずっとモノ思いながら帰路につきました。