「くまのプーさん」 こんな映画を観た:38
アニメ映画を観るのはカールじいさん以来。ウォルト・ディズニー生誕110周年ということで、プーさんがわざわざ映画化されるらしい。
100エーカーの森に住む、クマのプーさんたちが繰り広げるドタバタ劇。
まず感想だが・・・画はとてもすばらしい。今の主流のCGアニメが悪いわけではないが、昔ながらのやわらかいタッチが観ていていやされます。そしてストーリーは・・・ まさにカオス!全員が(漫才で言うところの)ボケ!こんな支離滅裂なストーリーがあるのか!という感じ。
映画の冒頭、クリストファー・ロビンの部屋、実写の映像から。その部屋の奥には一冊の本が。その本の中からストーリーは始まる。
冒頭、寝ているプーさんを起こすのは、スクリーンの外側のストーリーテラー。スクリーンの外側の観客の立場から話かける。そしてプーさんと会話まで。もうこの時点で普通のアニメ映画とは違うな。キャラたちも、あくまで実在の動物ではなく、クリストファー・ロビンの部屋にあったぬいぐるみたちの物語。だからイーヨーのしっぽも画鋲で打ってあるだけだったり、足もぬいぐるみの縫い合わせがわかる足。プーさんも途中でおなかが裂け、綿が出てくるのをあわてて自力で元に戻したり。
そして本の中の出来事が、本の中状態のままで進む。つまり挿絵の上や下にあるテキストまでキャラクターたちと絡む。文字を足がかりにして歩いてゆくキャラ。ハチの大群に追われ、「O」の文字に隠れてやり過ごすプーさん。のシーンがあったりなど、本の中の文字まで動きに組み込まれている。そんな発想自分には到底無理だ。
ハチミツをどうにかして食べることしか考えていない、プーさん(クマ)
「どうせボクのことなんか…」ひたすらネガティブなイーヨー(ロバ)
超臆病者のピグレット(子ぶた…ずっとピンクのアルマジロだと思ってた(^_^;))
尊大で自叙伝のことしか考えていないオウル(ふくろう)。
お調子者のティガー(タイガー)
なんだかキレやすいラビット(ラビット)
唯一の人間だがイマイチ天然なクリストファー・ロビン(人間)
子供思いだがそれ以外のことは考えていないカンガ(成獣カンガルー)
その子供ルー(幼獣カンガルー)(キャラ付けがよくわからなったので特に説明なし(^_^;))
まるで意志を持っているかのように漂う風船(風船)
拡大解釈すれば、まさに人間社会の縮図のようなキャラたち。
ムリヤリ教訓を見つけるとすれば、自分の「欲」が問題を解決することもあるということかな?「心暖まる」という感想もよく見かけますが、自分にはアナーキー過ぎて逆に現実に戻るのが大変だった。
もしかしたら自分が子供の頃は頭の中はこんなだったかな・・・と思った。ハチャメチャなストーリーをあるがままに受け入れる。今の私にはそんなことできない。
思ったのがこの映画はディズニー映画ではあるが、プーさんはもともと外様の物語なので、だからこんなハチャメチャでも許されるのか。ただのディズニー映画だったらこんなストーリーは許されるはずはない。
エンディングロールもキャラたちがタイポグラフィ遊び。今どきこういうシチュエーションは珍しい。そしてエンディング後の話も結局なんだったのか・・・。
誰もがおすすめです♪とは言い切れないと自分は感じた。
同時上映の短編だが、何の告知もなしに始まる「ネッシーのなみだ」もなかなかよいのだが、日本の子供にはもうネッシーが何であるかなんてわからないだろう。大人ならばネス湖のネッシーと言えば一時期かなり騒ぎになったのでわかるはず。
2011年の映画。